2020年6月6日土曜日

ファイト!と応援せざるを得ない人

 中島みゆきが作った「ファイト!」という曲がある。
 私自身が男だからなのかどうか分からないのだが、中島みゆき自身が歌うものよりも、竹原ピストルが歌う「ファイト!」の方が何故だかしっくりくる。

 サビには「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」という歌詞がある。

 普通に文字として読めば、次のような構造に読み取れる。
「闘う君」(A)を嘲笑う「闘わない奴等」(B)とは別の人(C)が(A)を応援している。
 中島みゆき自身の歌を聴いているとそんな風に聞き取れる。

 ただ、私自身は、(A)に対して「ファイト!」と内心で応援しているのは、表面上は(A)を笑っている(B)ではないかと感じる。

 多分、誰かがんばっている人の足を引っ張ることでしか自己確認ができない自分自身の姿に気付いているのだろう。そのクセに、その人の頑張りによって自分が助けられていることも分かっている。だから、表向きはそのがんばっている人の足を引っ張っていながら、「ファイト!」と心中で応援せざるを得ないのではないか。

 あるいは、がんばっている人と一緒に闘うのではなく、応援だけする人というのは、安全地帯から出ないようにしているという点で、やはり、足を引っ張っているのかも知れない。

2019年3月28日木曜日

東プレ、アゲイン

久し振りの東プレリアルフォース

かなり久し振りに東プレのキーボードを購入した。
以前使っていた東プレのキーボードは、テンキーのないコンパクトタイプであった。普段からかな入力中心の私は、テンキーがないというのはかなり使いづらかった。また、私はキーストロークがあまり深くないのが好みなのだが、東プレは伝統的に結構長いキーストロークを保つ。そのため、「長く使える」と評判の東プレキーボードなのに、すぐに使わなくなってしまった。
 今は手元になく、何度かの引越の際に処分してしまったのかも知れない。

 今回、職場のキーボードが(文字通り)砕けてきたので、新しいものを購入しなくてはならなくなった。その際に、東プレを選んだのは、ぶっちゃけ、「勢い」である。

 今回購入したのは、
REALFORCE CUSTOM Limited Edition R2A-JP4-BKJ
というモデルである。「CUSTOM」などと標されていることからも分かるように、人気のR2シリーズであるが、「一太郎」で有名なJUST Systemとのコラボモデルである。

2017年7月16日日曜日

通信速度低下

 ご多分に漏れず、我が家のネット回線もベストエフォート方式の契約である。我が家は住宅街に建っているが、夜中12時頃だけではなく朝方4時頃も通信速度が目に見えて落ちる。

 「夜中に通信速度が落ちるのは分かるが、早朝に落ちるのは何でだろうか」などと思っていた。

 だが、夏の時期であれば、朝4時半頃にはもう空が明るくなっている。当然ながら、活動を始める人だってそれなりにいるはずだ。特に、周囲には年配の人が少なくないので、外が明るくなれば活動を始め暗くなれば休むという、自然な生活をしている人もかなりいるであろうことは容易に想像がつく。

 それを、自分の生活ペースと同様に周囲も動いているはずだと考えていたのだ。

 言うまでもなく、明るくなれば動き始め、暗くなれば休む、というのは、むしろ極めて自然なリズムだ。不自然な生活を送っているのは私の方だったにも拘わらず、自らの方に正義があると思い込んでいた。

 まさしく顚倒である。

 顚倒の恐ろしいところは、こういう風に、正義を自らの方にねじ曲げていることを、気付かないばかりか、他に対して非難の目を向けてしまい、そのことに無自覚であることなんだろう。

 頭では分かっていても、自らの顚倒を恥じるどころか、却って開き直りがちである。

 自分の姿はなかなか見えない。


2017年3月24日金曜日

逃げる

 ポジティブな「逃げ」とネガティブな「逃げ」とがあるという。ポジティブなものとは、問題を認識し、それが自らの力を超えるものだと認識し、緊急避難として、身を守るために問題から距離を置こうとするもの。ネガティブなものとは、それが問題とは気付かないまま、逃げているという意識も無く、背を向けるもの。ポジティブなものは是であり、ネガティブなものは非であるという。

 だが、この2種類以外にも、怠惰や臆病さから問題に背を向けることもあるのではないのか。

 しかしながら、よく考えてみれば、怠惰や臆病さから問題にを向けるのも、大きく見れば、前者のポジティブな「逃げ」に分類されるのかも知れない。

 

2017年3月21日火曜日

コンテキスト

 年配の人は、歯が抜けていることもあったりして、何を仰っているのかよく聞き取れないことが少なくない。
 また、年配の人は、耳が遠くなっていることが多いこともあって、こちらが言っていることを聞き取ってもらえないことも少なくない。

 お年寄りとの会話で苦労する要素の一つである。

 だが、発音がハッキリしない人と耳が遠い人とであっても、長い間の馴染みの老人同士では、何の障害も無いかのように会話が成立する。

 これはどういうことだろうか。

 言うまでもなく、「会話」は非常にハイコンテクストな営みである。
 話者は伝えるべきことのすべてを発話するわけではない。若者の「ヤバい」という言葉には極めて多様な意味があるが、どのニュアンスで用いられているのか、一々明示されているわけではない。それでも、若者同士は「ヤバい」をお互いに言い合って、ちゃんと会話が成立している。
 また、聞く方も、話者の発声すべてを聞き取っているわけでも無い。伝言ゲームを試みるまでもなく、私たちは集中して聞いているつもりでも、相手の発する音声に関してはかなり適当にしか聞いていない。

 別に年配の人でなくとも、会話は、その現象面だけを見れば、不完全な発信と不完全な受信との組み合わせでできている。

 結局、会話というものは、相手のコンテキストを汲み取ろうとする、想像力を駆使した営為なのだ。

2017年1月27日金曜日

リセット

 風邪をひいて寝込んでいる。
 熱は37度に僅かに及ばない程度。多くの人にとっては微熱レベルだろうが、平熱が低い私にとっては、かなりツラい。むしろ、もうちょっと高くなると感覚がボケてしんどさは下がる。

 しかし、今までの例からいくと、ダウンしてしまう程になると、そこから戻った時にかなりポジティブになれる。
 多分、寝込むことで、身体の疲労をリセットできるのだろう。

 だから、今はとにかく眠ることが最重要な筈。

 でも、言い訳ばかりが先に出ちゃって、なかなか思い切れないんだよな。

2016年8月26日金曜日

「否定」

 否定は、否定の対象に意識的であることを要請する。対象を意識することなく、対象を否定することはできないからである。

 しかし、否定は蔑ろにすることとも異なる。ものごとは網の目のように絡み合っているものなので、「Aを否定するつもりでしかなかったにもかかわらず、Aに関連するBをも否定することになってしまった」ということが起こり得る。これが「蔑ろにする」ということである。このような事態は、否定している本人からも周囲の人間からも受け入れられない。大抵の場合「カッコ悪い」と評される。

 勿論、「Aを否定する」ということ自体を否定することもあろう。
 だが、そうなったとき、否定の対象は既に遷移してしまっている。

 そういう意味では、否定者の存在は、命題そのものを明確化する働きをも持つ。